徒然ブリッジライティング

〜粘菌的生き方のススメ〜

一陽来復をちゃんと過ごしてみたのと、冬至とクリスマスの秘密の関係

こんばんは。

ブリッジライターNAOです。

 

さてさて、今日は何の日でしょう?

 

 

そうです。一陽来復の日ですよね。

 

えっ?知らない?

またまた〜^^

 

 

・・ごめんなさい。僕も先月まで知らなかったです(汗)

 

冬至」の日を、「一陽来復」と呼ぶなんて。

 

 

「とうじ?ああ、冬至ね。夏至の逆か。1番日照時間が短い日だよね。

 ゆず湯?ああ、柚子をお風呂に入れる慣習ね。

 うちではやってなかったけど、なんか聞いたことはありますね。」

 

という程度で、

冬至」さえもちゃんと把握してない有様でしたけど、

今年は色々とありまして。

ちゃんと日本古来の季節の行事の意味 を知り、

できるかぎり夫婦できちんと過ごしてみようとしています。

 

このブログにある通り(気が向いたら後でお読みください^^)、

食事を整えることを最優先にしたことの延長ですね。

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今朝、日の出とともに起床して、

朝焼けの光が部屋に差し込み、鳥居の色と同じ朱色に染まる壁を眺め、

久しぶりに通勤ラッシュに突入する時間帯に出かけ、

早稲田の八幡宮にお参りに行ったのでした。

 

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柚子湯も入ったし、

かぼちゃと小豆のいとこ煮も食べました。

(これ↑についてはまだリサーチ不足ですが、なんか良いらしいです)

 

八幡宮で買った一陽来復の御守りを、

あと数時間後の夜中12時に恵方に向けてお札を壁に掲げます。

 

(1日の過ごし方の写真付きレポは

 フェイスブックの個人アカウントに)

https://www.facebook.com/naoki.okuyama.5/posts/1205456309541645


 

 

 

さてさて、では、

どうしていつもテキトーな僕が、

今年は(来年以降も)ちゃんと冬至を過ごしたいと思ったか。

 

 

 

みなさんも、年越しはたいてい気合が入りません?

「新年の抱負」なんつーてね。

 

まぁ、僕も例年実家に帰って家族とお正月は過ごし、

だらだらとしつつも、周囲の環境には合わせるため

それなりに気持ち的には切り替わりの時期です。

 

 

 

でも、いつだったか大人になってから、

中国には「春節」なるものがある、と知りまして。

 

ん?それも新年なの?

暦が違う?はあ、さいですか。

今の1月1日にやってるアレは、後から西洋から入ってきたものだと。

ちゃんとれっきとした暦に則った新年は、

春節」の方であるらしい、と。

 

 

ん〜、よくわからんけど、

とにかく節目としている時期ってものは、

後から人間が勝手にその都合で作ったもの、

テキトーに日時を設定して、意味付けしたものなんだね、

 

・・という感覚が、春節を知って以来、

ずっと僕の胸の中にうっすらと残っていました。

 

 

でも、「冬至」は、それとはどうやら違う。

 

だって、地球という惑星、

僕ら人間だけでなく全ての地球上の存在にとって、

太陽の運行って最重要じゃありません?

 

それについてもこっちのブログで言及したんですけどね(笑)

(長いし難しいので^^; 、気が向いたらお読みください)

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冬至は、文字どおり「太陽の力」(=日照時間と角度)が

1年で1番弱い日。

逆に考えれば、これを境に強まる起点の日。

 

自然界の法則に従う現象なので、

人間にとって意味のあるものなのは当然、

地球上のすべてのモノゴトにとって、意義ある日じゃないですか!

 

 

・・という直感的な理屈(?)で、

この日は大事にしようかな、と思っている次第です。ハイ。

 

 

 

で、本題はここからなんですが

(僕の癖なんですけど、前置きの長さよ。)

 

 

もうすぐクリスマスですね。

 

あ、クリスマスについてはそれほどは興味なくて。

(クリスチャンではないので)

 

でもやっぱり、

今や多くの世代の日本人には物心ついた頃から

染み付いた慣習ですし、

僕も夫婦でディナーする予定です(笑)

 

 

 

実は、「冬至」と「クリスマス」って、

密接な関係があるんですね。

 

 

「クリスマスの秘密」っていうフレーズだと、

陰謀論的な響きもしますけど(苦笑)

(実際、そういう話もあります。信じるかどうかは、あなた次第)

 

そういう方面(政治とか)に深く立ち入らなくても、

単純にこの2つは時期が近いので、

そもそも発祥とか、意味付けとか、共通するところがあるはずですね。

 

 

まず、クリスマスツリーの飾りで、

木の先端に星のやつ付けるじゃないですか。

 

あれ、北極星=ポーラスターです。

 

理系のわりには天体の分野は弱いのですが、

古代、冬至には常に天の中心である北極星を信仰するものだったそうです。

 

 

 

クリスマス(キリスト教ができた、たった2000年ほどの歴史)よりも

もちろん冬至の方が古(いにしえ)から大事にされてきたイベントなので、

冬至から先に考えます。

 

ケルト文化やローマ帝国時代、いやもっと古く旧石器時代の文化、

さらには現代でも全世界の原住民では、

 

太陽の力が最も弱まる時期=冬至は、

生者(昼の住人)の世界に死者・魔物(夜の住人)の勢力が強まり、

生者である人間の社会にとって脅威です。 

 

その脅威の存在を、

逆におもてなしして、機嫌良くなってもらって、

あっち(夜・死・魔)の世界に穏便に帰っていただくことで対処します。

 

この冬至の時期には、ギフト(贈与・プレゼント)したくなるのが、

古代から持つ人間の本能的な思考なんですね。

レヴィ=ストロースの『野生の思考』で描かれています。

 

そうすることで、その恐ろしい存在も、

お返しに自然の恵みを後で返してくれるものだと。

これは現代風にはマーケティング用語で「返報性の原理」ってやつです。

 

そういえば、こっちのブログにも3年以上も前に

中沢新一氏のギフト経済学」ってネタを取り上げてるじゃん!

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すげーな、このブログ・・・
(↑自分の文章w )

 

 

 

 

 

キリスト教では、太陽の力が取り戻されていく時期と

エスの生誕(=神の世界の復活)を重ねて、

意味付け・権威付けしました。

 

(事実、イエスの誕生日は12月という証拠はなく、

 むしろ夏なんじゃないか、という学説があります。

 あの時期イスラエルで馬小屋で出産しようものなら

 凍死するくらい寒いらしいですし。苦笑)

 

 

そして、この古くからの慣習=冬至の各地の風習には、

「魔物が来るぞ〜、おもてなししなければ〜」

という野蛮(?)な部分はお上品(?)に仕立てます。

 

サンタクロースは、

もともとは「悪い子いねが〜!」の”なまはげ”っぽいやつだったのですが、

聖ニクラウス(セイント・ニクラウス→サンタクロース)という

聖人をモデルに置き換えて、

 

「良い子には優しいおじさんがプレゼントをあげるよ☆」

というディズニー的な世界観に変わっていったそうです。

 

さらに第2次世界大戦後、

アメリカ式の資本主義が西側世界(日本含む)を席巻し、

「クリスマスにはプレゼントを」をガンガン煽って、

”クリスマス商戦”ということで

急速にきらびやかなイベントへと変貌したようなんです。

 

 

現代はその流れの通り。

 

 

というわけで、

僕もまぁそこまで抗うことはなく、

クリスマス商戦にも少しは便乗してますが、

 

もっと始原的な「冬至」の方に目を向けたいな、

と思う今日この頃。というか今日。

なのでした。

 

このテーマ(『野生の思考』)、

とても面白いので、また気が向いたら書きますね。

それでは!

 

 

 

上記の情報は、主に以下のところから得て、

 筆者なりに組み合わせたものです。

名著60 「野生の思考」:100分 de 名著

北極流.com|ゆにわの開運ライフスタイルを実践する総合サイト

いい日本再発見

 

 

 

ブリッジライターNAO

 

 

読書録(『1分で読書』より)
神社仏閣参拝記録(『ホトカミ』より)
"粘菌的生き方"とは?(『インターネットと農業』より)