徒然ブリッジライティング

〜粘菌的生き方のススメ〜

スピノザと『合理的な神秘主義』by安冨歩さん&寄田勝彦さん

こんばんは。

ブリッジライターNAOです。

 


先日の2017年9月某日、都内某所、 

僕の古巣でもある大地を守る会が開いている

藤田和芳社長も毎回参加する勉強会がありまして、

 

今回はゲスト講師、

安冨歩さんと寄田勝彦さんでした!

 

 

なお、10月から「オイシックスドット大地株式会社」となるので

引っ越し前の最後の勉強会でもありました。

(移転後もオイシックスドット大地の本社付近で継続予定)

 

 

寄田勝彦さんは一般の知名度は高くないかもしれませんが、

社会生活に何かしら問題を抱える多くの大人・子供を救っている

ホースセラピスト」として国内外を飛び回る

 半端なくエネルギッシュな人物です。

 

 

一方の安冨歩さんは、

「東大話法」「女性装の東大教授」などで知られ

メディアにも引っぱりだこの著名人です。

 

 

 このお姿に、見覚えのある方も多いのでは?

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(注:画像をクリックすると、アマゾンなどへのリンクではなく

   この本について要約したサイトに飛びます。)

 

 

 

まぁ何はともあれ今回は、

 

「論理学」とか「思想史」の話がメインの勉強会レポートなので、

記事の文章は長くなりそうではありますが・・

 

ぜひ5分ほど、最後まで読んでみてください。

 

 

「この世の中、なんかちょっと息苦しい・・ような?」

 

と感じている感性の鋭い人には、

 

長年のジワジワモヤモヤが氷解して、 

そして最後にはその解消の方法の1つまで示されて

腑に落ちることでしょう!^o^

 

 

 

それでは勉強会の内容に踏み込みます!

 

 

 

・・の前にちょっと、前情報を。

 

 

この勉強会ではこれまで、数年間、毎月1〜2回、

ずっと「スピノザ」を題材に諸々周辺領域含め学んでいます。

 

 

スピノザ」って何ぞや?美味しいの?

 

 

・・いえ、優しい表情をした、

17世紀オランダの思想家です。

 

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安冨さんが『ありのままの私』のあとがきでも、

私もこうのような優しい表情の学者になりたい

と書いていたり、

 

たくさんの古今東西の有名哲学者が登場する

『合理的な神秘主義』という本の中でも、

スピノザを中心に据えています。

 

1minute-reading.com

 

 

 

そんなスピノザは、ユダヤ人として生まれ

熱心なユダヤ教のコミュニティの中で学んでいましたが、

 

思索の果てに「神は”自然”そのものだ」ということを論証し、

無神論者扱いされ(外目には)苦難の人生を歩んでいます。

 

 

40歳過ぎで若くして亡くなっていますが、

その後にニーチェマルクス科学者たちに大きな影響を与え、

まさに”近代”の幕開けの象徴のような哲学者とされています。

 

 

というわけで、

そんな「スピノザ」を念頭におきつつ、

 

安冨さんには

素人(=哲学などの学者ではない人たち)向けに

何かしら良い話をお願いします!

 

という無茶ブリのもと始まりました(笑)

 

 

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 (※ご本人たちの写真掲載許可をいただいています。

  左から、寄田さん、安冨さん、小松光一さん、藤田和芳さん)

 

 

 

まずはいきなり、

ヴィットゲンシュタイン」から。

 

20世紀の代表的な哲学者に数えられる人物ですね。

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その人の考えたのは、論理空間というもの。

 

論理空間ってどんな空間でしょう?

 

説明してみると、

「人間が経験などの外部情報(=基底)を脳で処理する際、

 いろいろと言葉を組み替え、現実にはありえないことも含めて考えて

 ”命題”(※)をたくさん立てる。」

こうしてできたものの全体の集合が、論理空間です。

 

※命題:「◯◯は、◎◎である」などの構造のもの

 

 

思考しない動物(植物や無生物もかな)は、

外部情報を受け取ったら、

それにそのまま応じて反応・行動するのに対し、

 

人間は、外部情報を受け取ったら、行動に移る前に

「論理空間」を作り上げてしまうんですね。

これが人間のスゴイところであり、愚かなところでもあり・・

 

 

 

んで、

「この論理空間は有限(なぜなら基底=外部情報が有限なので)であるから、

 この世界の真理(無限である)をカバーしきれない」

 

ということを証明したんですって。ヴィットゲンシュタインさんは。

 

 

その他にも、

「”論理が成立する”、という命題を、論理では証明できない」

とか

「”語りえぬもの”については、沈黙せねばならない」

とか

を論証したそうです。

 

 

これらは、どういう流れで考え出したのか?

 

 

それは彼の師匠である「バートランド・ラッセル」に向けて、

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「先生、その考えはオカシイじゃないですか!」

という議論なのかなんなのか、

ふっかけている中で生まれた思想とのこと。

 

 

そのラッセルさんがこれまたスゴイ人で、

100年近く生きた上に大学の先生は早々止めて

著述家として食っていたので、やたらと出版した文献が多く、

彼の著作をすべて読むのはほぼ不可能・・

 

で、有名な「ラッセルのパラドックス」を起点に、

20世紀の思想界はてんやわんやです。

 

(「ラッセルのパラドックス」についてはこちらで解説してみました^^ )

bridge-writer.hatenablog.com

 

 

まぁ、とにかく、

この「ラッセルのパラドックス」があぶり出した”矛盾”を

どぎゃんせんといかんと、

ラッセルさんや他の天才たちが頭をこねくり回し・・、

 

 

出てきたうちの一つが「チューリングマシン

 

これは人間の論理するプロセスをなぞっただけのモデルであるものの、

コンピュータの原点です。

 

 

ちなみにこれと同時期に考え出された

サイバネティクス」(byウィーナー)というのは、

自らをフィードバックするシステムのこと、

つまり「自分で学習するプログラム」です。

 

言わずもがな、人工知能(AI)という現代の技術にも繋がっていますね。

 

 

 

で、上記をさしおいて、

最も重要な思想が生まれました。 

 

それが不完全性定理(byゲーデル)です。

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難しい表現は置いといて、

「論理じゃムリ」的な事を言っています。

 

これによって、

「論理」というものは、この世界(宇宙)を表すものではなく、

人間が「これは論理立っている」と思っている事を表現している

・・だけに過ぎない・・・

 

ということが証明されたんですね。

 

 

 

そこで、あらためてヴィットゲンシュタインさんに戻って、

 

有限な論理空間の背後には、「神秘」がある

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というようなことを考えたんです。

 

 

 

安冨さんは、これをひとまず「合理的な神秘主義と呼ぼう、

ということにしてお話を展開していきます。

 

 

 

ちなみに、20世紀以降の人間のアホっぷり

(戦争、環境破壊、原発など)

は、「合理的な神秘主義」の”逆”の

 「神秘的な合理主義」(※)の結果だそうです。

 

 

※確実性とか、目先で合理的かどうかだけ追い求め、

 それだけを(神秘性を持つかのように)盲目的に過信して、

 結局愚かな事態になっても後戻りも思いつかないアホ状態

 

 

マニ教の二元論、アウグスティヌスデカルトマルクスの資本主義

 などもお話が出ましたが、ここは泣く泣く割愛します)

 

 

 

さて、

不完全性定理や、ヴィットゲンシュタインさんたちが

「論理じゃムリ」って結論を出したのにも関わらず、

 

 

20世紀の世俗の方では「論理空間」に囚われたままで

進んでしまいました。

 

 

論理空間が物象化したものが、「都市空間」です。

 

 

そんな論理空間ばっかりに囲まれた都市空間で

人間が育つ(長く過ごす)とどうなるか・・

 

 

そこにいる人たちみんなで協力して、

論理破綻が起こらないように起こらないように努め、

あらゆるところに予防線を張って社会が作られていきます。

 

 

この現代社会、なにか息苦しい?生きづらい?(自殺したい?)

・・という生き物として正常じゃない状況になっていると感じるとすれば、

 

上記のようなことが近代から起こっているからではないでしょうか。

 

 

 

 

・・というわけで!

ではどうするか?

 

 

「神秘を取り戻そう」

「都市空間にも神秘性を持ち込もう」

 

というのが安冨さんのアイディア。

 

 

 

(例えば、「農業」という営みも、

 「神秘」と「論理」の境界にあるようなものですね)

 

 

都市に持ち込め、なおかつ安全そうな「神秘」って何だろう?

と探したところ、

 

」を見出しました!

 

(猫や犬でもいいのでしょうけど、

 馬というのはインパクトも大きいですね)

 

 

 

ここで、ホースセラピーの大家

寄田勝彦さんに満を持してバトンタッチ!

 

 

(参考記事:

 ホースセラピー 障害ある子、馬とともに育て 北海道・七飯の牧場

 https://mainichi.jp/articles/20170123/ddr/041/040/002000c )

 

 

「ホースセラピーのところには、

 どこか壊れた人間が訪ねてくる」

 

というまずは「ハッ」とさせられるイントロから始まり、

 

 

「論理空間に人間がい続けると、人間は壊れるもの」

 

という事実をリアルに認識させられます。

 

 

「しかし、馬と出会うと、何も語らなくても、回復してく。」

 

これは、前段を踏まえて表現すると、

「神秘の復権という感じでしょうか。

 

 

 

「何もやりたくない」とい言う子どもに対して、

都市空間(論理空間)の理屈では何もしてあげられません。

 

でも、強制的に馬を与える(世話を任せる)と・・

 

初めは(薬物などもあり)朝起きられない子も多いそうです。

それでも馬は待った無し。

餌を全くあげなければ、本当に死にます。

馬は言葉では訴えてきません。

ただただリアルな命を見せつけるだけ。

 

 

最終的に、どんなに酷い状態だった子でも、

馬を死なせてしまうまでに至った事例は

何千のケースのうち1度もない、とういうことです。

 

朝は遅くなったとしても、必ず世話をするようになるんだそう。

 

「馬が死ぬのはイヤだな・・」という心。

これは「神秘」でしょう。

 

 

「馬が軸となる暮らし」=「神秘が軸となる暮らし」 

 

後期のヴィットゲンシュタインも、

レーヴェンスフォルム(生活の様式)」=くらし

 の大切さについて言及していました。

 

現時点で、科学者たちの多くが

「くらし」について無頓着なのがオカシイと思う!

という提言をお二方ともから出て、

終わり時間を迎えました。

 

 

 

 

以上!

締まりが悪いですが、勉強会の中でのお話はここまでです。

 

 

話の大筋をまとめると、

 

前半は安冨さんによる「理論編・問題の提起」

後半は寄田さんによる「実践編・解決策の提示」

 

という構成になりましたね。

 

 

 

いかがでしたか?

 

ちょっと論理学のあたりはアタマを使うかもしれませんが、

難しいわけではなく、

(・・いや、ホントは難しいんだけど、

安冨さんがわかりやすく噛み砕いて解説してくださったおかげで、

僕もこなれた表現で書き落とすことができました。)

 

 

後半の「神秘性の導入」として「馬」がスゴイ!

というお話はホースセラピーの現場のことなので、

リアルに伝わってくるものがありますよね。

 

 

今回、長文になりましたが

最後までお読みいただきありがとうございました〜!

 

それではまた^^/

 

 

 

 

(こちらは今年始めの同じ勉強会のレポートです。参考までに) 

bridge-writer.hatenablog.com

 

 

 

 

(参考文献として、安冨歩さんのご著作2つを要約してます) 

 

ありのままの私(安冨歩)2015年 | 『1分で読書』

合理的な神秘主義(安冨歩)2013年 | 『1分で読書』


 

 

あと、余談ですが、僕も同じ勉強会の中で

10月19日にしゃべる機会があります^^

(詳しくはこちら ↓ )

boom-nao.seesaa.net


 

※追記:

おかげさまで無事終わりまして、

その時のレジュメpdf4枚を参考までに置いておきますね↓

(ブログ公開用レジュメ)量子論(素粒子論)×『般若心経』

http://boom-nao.up.seesaa.net/image/quantum-hanya.pdf

 

 

 

 

ブリッジライターNAO

 

 

読書録(『1分で読書』より)
神社仏閣参拝記録(『ホトカミ』より)
"粘菌的生き方"とは?(『インターネットと農業』より)