<メモ>宮沢賢治と南方熊楠の共通点
今日は時間がないのでメモ書きを。
今朝の読書で、
『慈悲をめぐる心象スケッチ』という本を読んでいました。
現役の住職であるお方による文章です。
「心象スケッチ」とは、宮沢賢治ファンなら常識語ですが、
まぁ、何か心に触れた際、感じたままを描写するイメージで
文章を紡ぎ出すことです。
(異論あるかもしれません^^;)
それを読んでいて、
特に臨終の場面とか感動するわけです。
宮沢賢治が自らの死が近いとわかっている時期の手紙から、
たくさん引用していて、どのように死に対して向き合っているのか、とか。
長く書けるほど時間がないので
さっさとタイトルの本題に入ると、
この2人の天才は、
「手紙」の量が半端ないんだな、と気付きます。
変わり者で思索好きな人間です。
1人になりたい時間が多いはずだと思うんです。
(僕は全然天才ではないけど、
1人タイムがすっごい好き!な傾向としては近いので)
それでも、彼らは大量に手紙を書き、
多くの人との交流も人生全体で欠かしていません。
ここに、何か常人と違うことを成した秘訣があるのか・・
と思いました。
引き続き僕のテーマになりそうです。